たむはおとぼけ。

毒親に育てられ現在解毒中。

*毒親育ちは辛いよ…(中学〜高校)

 

こんにちは。

たむです。

 

前回の記事の続きです。

相変わらず長い。笑

 

 

*

 

私と父親の二人暮しに

戻ってしまい

父親の怒りの矛先は全て私になりました。

 

私が中学生の頃

吹奏楽部に入部するのですが

 

コンクールやら演奏会やらをやった後

部員皆で反省会や楽器の片付けを

して、帰りが夜遅くなると

帰った途端に父親はブチ切れ

 

「帰りが遅いんだ!!!

メシはまだか!!!!

早く作れ!!!!」と

大声で怒鳴ったり

 

部活で帰りが遅く(でも18時とか)なると

 

「遊んできてるのか!?

二人暮しなんだから、もっと家庭に協力しろ!!!

誰のおかげで飯が食えると思ってるんだ!!!!」と怒鳴るため

 

私は中学2年生で部活を辞めました。

(部費も払って貰えないようなので)

 

毎日、親が車で帰ってくる音に

ビクビクしながらの生活。

 

親が帰ってくるまでに

洗濯物を取り込んで畳み、片付けて

ご飯を作っておく。

それが私の怒られない道でした。

 

 

 

中学3年生、受験生になるのですが

私はそこまで勉強が得意な方ではなく

家の近くの高校ではなく

少し離れた少し私の学力に合わせた

高校に進路を決めました。

(でも進学校です)

もちろん親からは

「お前は馬鹿だから近くの高校に行けれないんだな、だからそんなバカ高しか進路が決められないんだ」と

言われました。

3年の頃に出来た友達と

友達の家で夕方まで勉強して

親が帰ってくる時間が近づくと

自転車を飛ばして家に帰って

洗濯物を…etcと言う日々。

 

高校合格して

中学の友達と卒業旅行として

ユ○バに行く約束をしました。

バイトが出来ないので

親に頼むのですが、私は半年前から

親の機嫌がいい日を狙って

「友達とユ○バに行きたいから、お金をください。お願いします」と

何回もお願いしていました。

父も「ふーん、そうか。分かった。」と

言っていました。

 

ある日友達が

「そろそろ、日が近いからチケット代集めて払いに行こうよ」と声掛けをしてくれたので、私は父に「行く日が近くなったから、友達とチケットを買いに行くのでお金をください。前から言ってたよね?」と言ったら

 

「そんな金はない!!!

お前は口を開くと金の事しか言わない!!!友達は金持ちだから、すぐ金が出てくるんだ!」の一点張り。

 

「前から言ってたじゃん!

何で話聞いてくれんの?思い出作りに行きたいって言ってたじゃん!!!」

と声を荒らげて私が反論すると

 

「うるせぇ!!!!それなら出ていけ!!!!!」

と飛びついてきて顔を殴られ、腹を蹴られ…と

暴力が始まりました。

 

もう何を言っても埒が明かないので

友達にラインで

「ごめんね。ユ○バ行けなくなっちゃった。行くって言ってたのに…ごめんね。」

と送ると

友達も急なドタキャンなので

「え?何で?行くって決めてたじゃん!!なんで急に変わるの?」

と怒らせてしまい…

「お金無くて。皆みたいにすぐお金払えないからさ…(;_;)」

なんて親に言われたことそのまま言ってしまったり…

(今思うと、ほんと嫌味ったらしいですよね)

 

「お金なら全然貸すよ!!皆で行くことに意味があるんじゃん!!」

と友達達は言ってくれたんですけど

 

「行って帰ってくんな!!!!」と

親に必ず言われるので

 

「ごめんね…。ほんまにごめん。。。」

と謝って断ってました。

 

「うん…分かった。次は絶対行こうね!!!」と言ってくれて

ギクシャクすることも無かったんですが

今思うとほんとに心苦しいです…

 

 

*

 

 

高校生になり

1年の頃は大学入試に力を入れるコースに入ったので

部活も入らず、授業に必死に着いていき、宿題に終われ…という生活を

しながら、

家の事をしていました。

同時に思春期らしき物も始まってはいました。

父親はテレビを見ている間に

話しかけるとブチギレるほどの

短気だったので

あまり話しかけず、喋り掛けられても

「うん、そうだね」とか

「そうなの?へー」などと

返事をしていたら

それも父親の癪に障ったらしく

「お前親の事舐めてるだろ!!」と切れるようになりました。

 

そこで今までで

1番酷かった出来事が起こります。

 

 

ある日私がフライパンでご飯を作っていて、火を止めお皿に盛ろうかと思った時、

父親が話しかけてきたので

「そうなの?ふーん」と返すといきなりブチ切れ、頭を拳で殴り

中身の入っているフライパンで私の頭を殴ってきたのです。

 

想像できますか…?

火は止めたとはいえ、中身の青椒肉絲はまだアツアツです。

そして中身が服の中に入って来て

胸元に火傷を負ってしまいました。

 

「私多分殺されるわ…、

多分今日死ぬ、やばい、」

 

と思い、とっさに固定電話で

警察に電話をしました。

声は震えるわ、頭はガンガンするわ、火傷は痛いわでパニック状態で

「助けてください…父親に…暴力を振られています…!」

と泣きながら電話をしました。

 

「電話すればいい、出ていけ」と言われながら

 

音を立ててパトカーが来た時、

ホッとした気持ちより

怖い気持ちの方が強かった。

 

私の父は弁が立つ人で

簡単に相手を言いくるめられるから。

絶対嘘つくんだろうな、また私が言うことを聞かないとか言うんだろうなと、震えていました。

 

案の定父親は

 

「いや、フライパンは当たってしまっただけです」

「最近仕事で疲れていて、カッとなっただけです」

「最近娘が反抗的で…」

 

と、スラスラと警察の方に弁解をしていて、私は呆れてものが言えなかった。

 

警察の方は

「だからと言って…」と諭してはいましたが、もう私の耳には何も入ってこない。笑

 

警察の方は2名来られていたのですが

1名は父親の話を聞く

もう1名は私に、「出て、話しましょうか」と言って警察署まで連れて行ってくれました。

警察署で児童相談所の方と会い話をしました。

 

そして児童相談所の施設で眠り

次の日に学校を休み、児童相談所の方と病院に行きました。

幸い、頭蓋骨に異常はなく胸元の火傷だけで済みました。

 

警察署の方で「お父さんも反省しているようです。こちらからもきつく言っているので大丈夫そうです」と連絡があり、

家に帰ることになりました。

 

家に帰ると、父親は

「大丈夫だったか?治るまで結構かかりそうか」と私に言いましたが

「お父さんも悪いけど、お前も反省しろ」と告げ

テレビを見ていました。

 

 

次の日普通に学校に行き

急に何も言わずに学校を休んでしまった為担任の先生から理由を聞かれ、正直に「私、父親に殴られて警察を呼びました」と話しました。すると担任の先生は目の色を変えて、「たむの普段の様子からそんな事があったなんて知らなかった。辛かったな。」と言って

学校に月1回訪問してくる

スクールカウンセラーさんへの相談を勧めてくれました。

 

 

*

 

私は中学校の時から、おとぼけ担当でした。皆の事を笑わせるために面白い事を言ったり、面白い顔をしたり

「たむちゃんって面白ーい!明るくて元気だね!」とずっと言われてました。

 

 

「私ね、昔に父親の彼女に…」と過去話として友達に話したりは少ししていましたが、毎日どうすれば今日は怒られなくて済むかな?

今日は父親の機嫌がいい日でありますように…とビクビクしていることなんて決して言うまいと思っていました。

 

だって、迷惑をかけちゃうから。

この話をしたからと言って

誰も助けてはくれないし、解決もしない。なら私が耐えるしかない。

と思っていたから。

 

 

そこがここまで毒に苦しめられてしまう落とし穴だったのですよね。

今は、そう思います。

 

 

 

今日はここまでです。

見てくださった方、ありがとうございます。

 

 

たむ

 

 

 

 

 

 

 

 

* 毒親育ちは辛いよ。(幼少期〜小学生)

(長ったらしいので、時間がある時に

読んでください笑)

 

 

こんばんは。たむです。

 

 

いきなりですが

皆さんはご両親のこと好きですか?

 

「お父さんはいつも私の味方でいてくれる」

「パパ〜お誕生日おめでとう。

将来はパパみたいな人と結婚したい。

大好きだよ」

「お母さんはちょっと厳しいけど

何でも話し合える仲だなあ。」

 

私の周りにはそんな子達が

沢山いました。

 

私は小さい頃に両親が離婚して

母親がいません。

そして、離婚して母親が家を出て行ったっきりお母さんに会ったことがありません。(妹にも)

だからお母さんとの思い出はあまり記憶に残っていません。

覚えてるのは、家で

「お父さんとお母さん、どっちを選ぶ?」と父親が私に問いかけ

赤ちゃんの妹はお母さんの元に行くので

小さいながらにお父さんが

1人になっちゃうかもしれない。と

思って、

私が「おとうさん」と言った時の

母親の悲しそうな目だけです。

 

私は両親が離婚し

父親と二人暮しになりました。

そこから19年間、

「私が離れたらお父さんは1人になっちゃう。」

「お父さんがいないと私はダメだ。」

と思いながら生きてきました。

今では何でもっと早く

この親から離れなかったんだろう?

とずっと悔やんでいます。

 

 

 

*

 

 

幼稚園に入るまでは

ちょっと厳しいけれど

色んな所に連れて行ってくれる

普通の父親でした。

 

幼稚園に入ったぐらいに

私の祖母(父方)も一緒に住むことになります。

 

 

そんなある日

父親が、家に女の人を連れてきました。

父親の彼女です。

その女の人は

『たむちゃん〜』と言って

優しく接してくれました。

その時の生活は

毎週○曜日は女の人が

私の家に来て

ご飯を作り、泊まり、帰る。

毎週○曜日はその女の人の実家に

私と父親が泊まり、朝5時起きで

2時間弱かけて帰る。

という、なかなか辛い生活をしてました。笑

(何で親の愛の育みに子供が振り回されなきゃいけねぇんだ。笑)

 

 

でも小学2年生くらいに上がると

急に私に対する態度が変わりました。

ざっと書きますが

 

○ご飯抜き

○父親の見ていない所で

殴る、蹴る

○下着を着せてもらえない

(下着なしでパジャマを着ろと言われる)

○風呂に入る時、シャワーで冷水をぶっかけられる(真冬)

○「車に轢かれて○ね」と言われる

○祖母を虐める

(父親に嘘をでっちあげて、父親が祖母に暴行する)

 

 

という虐待をその女の人から

受けるようになりました。

(父親からも多少受けてはいました。)

 

1番悲しかったのが

私の寝る寝室(和室)と

リビングが隣なのですが

私はお腹が空きすぎて眠れないのに

わざとなのか女の人がふすまをちょっと開けていて

父親が帰宅し、「たむは飯食ったのか?」

という問いかけに

『食べてたよ〜たむちゃんお代わり沢山してたよ〜^^』

という笑顔と声が聞こえたこと。

 

祖母が私の目の前で

父親に首根っこを掴まれて

引き摺られていたこと、

血だらけのタオルで鼻血を抑えて

泣いていたことです。

 

この女の人のおかげで

唯一私の味方で居てくれた

祖母は故郷に帰り、

私は独りぼっちになってしまいました。

 

「お前は本当に何も出来ない娘だ

つまらない」

『アンタが居るから結婚できないのよ』

 

悲しくて涙が出ても

「また、嘘泣きか?」と

父親は心配もしてくれなかった。

風邪を引いても

2人はパチンコに出掛けて

私を家に放置し、肺炎にまでなりかけた事だってあります。

それが9年ほど続きました。

 

" 学校に助けを求めなかったの? "

と思う方もいらっしゃると思います。

小学校5年生くらいの時

やっと担任の先生に打ち明けました。

児童相談所にも2回逃げ込みました。

でも私にも小学校に友達はいたし、

もし、親と離れて生活をしたら

学校も辞めないと行けないかもしれない…

皆と会えなくなるの嫌だな…

と考えてしまったし、

次の日には

親が「ごめんな、悪かった

もうあの人は来ないから」と

迎えに来るのです。

 

でも

 

その数日後にはケロッとして

「あの人がまた来るから

たむは笑顔で出迎えるんだぞ

挨拶もきちんとしろ。

作ってくれた料理には美味しいです。とちゃんと言え。分かったな?」と

私に言いました。

それが小学生までの出来事。

 

 

 

自分のエゴのためには

子供を平気で操ろうとする。

それが毒親なんです。

 

 

結局その女の人は

突然連絡もつかなくなりました。

つまり、私の父親は捨てられたんです。

また私と父の二人暮しになりました。

 

そこから

私に対する虐待が

より一層強まりました。

 

 

 

 

 

 

今日はここまでです。

 

 

たむ

 

\ はじめまして。/

 

こんばんは。

はじめましてたむと申します。

はてなブログ始めてみました。

 

このブログは主に

毒父に育てられ家を出るまでの

出来事ですとか、

出てから親の

呪縛を解き放つための苦悩などを

書き溜めて行こうかなと思っています。

(オシャレにも興味を持っているので

その話などもちょくちょく書くかもしれない。)

私自身、大学生で

卒業論文で「毒親」について

書いてみるのはどうだろうかと考えており、毒親育ちの皆さんからの

実体験ですとか、毒親によって受けた影響を良かったら伺ってみたいと、思っています。

 

たむ